6月12日(土)開催の【大野×浅野コラボセミナー】にちなんだ企画をスタートします。
浅野寿和カウンセラーと大野がひとつのコラムをリレーして書く、名付けて【コラボブログ】。
※今回のセミナーは「対人関係がうまくいく極意」という心理セミナーです。
【コラボブログ企画ルール】
多くのリレー形式のコラムは1つのお題に対してそれぞれが回答する形なのですが、今回の『コラボブログ』では、各々が勝手に書いたコラムの「続きを書いていく!」が鉄の掟。つまり
・相手の書いた提案・分析を受けて更に膨らませていくべし。
・相手の記事が掲載されたら、即執筆に入るべし。
・お互いに何を考えて書いたのか想像しながら書くべし。
・予定調和禁止。自分の意見と異なったら容赦なく自分の意見を書くべし。
・コラムの内容に関して、事前打ち合わせ、電話やLineでの連絡などのヤラセ厳禁!
・相手がとんでもないフリをしてきても、自己責任原則で受容すべし!
・とにかく出たとこ勝負で書くべし!
二人が何を書くかなど知る由もなく、どんな流れになるかもさっぱりわからない。相手がいつブログをアップするかも分からない。一度書き始めたらセミナーが始まるまで書き続けるという企画。
しかも、私がアップした1時間半後には、浅野カウンセラーがもう続きをアップしているという…。浅野さん、どれだけブログ書くの早いねん!!!!!
しかも、私がアップした1時間半後には、浅野カウンセラーがもう続きをアップしているという…。浅野さん、どれだけブログ書くの早いねん!!!!!
ということで、浅野カウンセラーが書いた記事がこちら!
しかし…
浅野さんってば、こんなこと書いちゃうんだなー。
男性が書く「男」って、やっぱリアルですよね。
女性の皆さん、これは必見だと思いますよ。
うむ。この流れから何を書こうか考えたのですが、そもそも今回のセミナーのテーマは「人付き合いの極意」なんです。
私も浅野さんも恋愛のご相談が多いので、そちら方面の話になると、熱くなるところがありまして、書きたいことが山ほどあるのです。
まぁ、恋愛の悩みも対人関係の悩みに他なりませんからね。恋愛の悩みにも我々のセミナーには通じるものがあることも確か。
さて、このあたりで、「我々の人付き合いにおける苦悩」でも書いてみましょうかね。どう、浅野さん?
まぁ、返事を聞いたところで、勝手に書き始めちゃうんだけどね(笑)

◆私はかなり話下手です
今でこそ、人と関わるカウンセラーという仕事をしておりますが、もともと人付き合いが得意だったほうではありません。
社交的でもありませんし、けっこうな人見知りで、内気なタイプだと思います。今も、そうですけれどね。
え?そう見えない?
だとしたら、今はそれを隠さなくなったし、それをあまり悪いものだと思わなくなったせいかもしれません。
そもそも人って、自分のダメなところと他人の素晴らしいところを比べて自己嫌悪するようなところがあって、それって最初から負けに行っていますでしょう?
もし比べるのであれば、今の自分と過去の自分を比べることのほうが、まだずっと良くて、そこにわずかでも成長があればいいと思っているのです。
そういえば、私は「話し方教室」にも通ったことがあるぐらい、話し下手なのですよ。
それも昔ではありません。そうねぇ、4年ぐらい前に通ったのかなー。それぐらい、話すことへのコンプレックスが強かった。
でも、私が話し方教室で会得したことは、話上手になることではありませんでした。多分、さほど上手になっていないしね。
私が学んだことは、自分の言葉で自分を表現すること。この一点に尽きると思います。
自分が感じたことを自分の言葉にして表現をすること。私はこれが、めっちゃこわかったのです。
自分の言おうとすることが「これでいいのかな?」「これで正しいのかな?」「これで相手の気持ちに沿っているのかな?」「相手を不快にさせないかな?」っていちいち考えてしまう。
自分の心で感じていることはあるけれども、それを言葉にしようとするときに、一度頭のなかで“文章の添削”をかけてしまう。
そうすると、なんだか「あたりさわりのないような」「わけのわからないような」「なんだかハッキリしないような」つまらない言葉になってしまう。
そこに私はいないのです。いつも自分の存在を消しながら話す。長らく私にはそんなクセがあったようなんです。

◆ひとりでふたり分考えるクセ
こちらは、だいぶ昔の話しになるのですが、ちょっと聞いてください。
たとえば、恋愛するじゃないですか。彼の気持ちが気になるじゃないですか。彼に嫌われたくないじゃないですか。彼に自分のことを好きでいてほしいじゃないですか。
そういう気持ちが強すぎて、「ひとりでふたり分考える」ということも、本当にたくさんしました。
ひとりでふたり分考えるというのはどういうことかといいますと、私の頭のなかで「彼はきっとこう思っているに違いない」と決めつけて、それに合わせて接してしまうことをいいます。
たとえばね。彼がちょっと今日は無表情だなと思った。きっと疲れているんだろうなと思う。疲れている彼に無理をさせるのは悪いから、今日のデートは早めに切り上げたほうがいいんだろうな。
もうちょっと一緒にいたいけれども、もう帰ったほうがいいよね。だって、今日の彼、あきらかに口数が少ないもんね。それに、私と一緒にいても、つまらないんだろうな。
そりゃ、そうだよね。私なんかといても、さほどの話題もないもんなー。ああ、なんか彼の表情がなんか怒っているみたいに見える。ああ、私といてもつまらないんだ。
そして、言ってしまうのです。「もう帰ろうよ。」
彼にしたら「もう帰るの?」という返事なのですが、ここで「ちょっと疲れた顔しているように見えるけれども、どうかしたの?」とは聞けないわけです。
自分で勝手に想像して、「私といてもつまらないに違いない」と結論を出して、そのように相手に接してしまう。相手にしたら迷惑な話ですよね。ただ、考え事していただけかもしれないのに。
一見相手のことを考えているようで、自分の心のなかの不安ばかりを見ているので、「私にはこう見えるけれども、あなたはどうなの?」と聞くことができない。
私の感情は私のものだし、彼の機嫌は彼のものなのに、そのすべての責任が自分にあるように感じて、いつも心が穏やかではなかったのです。
だから、前回のブログにも書きましたけれども、私の感情はいつもジェットコースターのように、彼の言動次第で天国へも地獄へも行っていたのです。
人間関係において、自分と他者は別の人間だし、自分の感情は自分のもの、相手の感情は相手のものです。
でも、私たちには相手の気持ちを察したり、共感する能力があるから、この境界線がしばし曖昧になってしまう。
私がこう思っているのだから、相手もそう思っているのだろう。そういう思い込みをいっぱいしてきたような気がするんです。
私がこう思っているのだから、相手もそう思っているのだろう。そういう思い込みをいっぱいしてきたような気がするんです。
そんな私が、自分の存在を消さないためにしていることが、ひとつだけあります。
「私」という主語を用いて考え、そして話すことを心掛けることです。
そもそも、日本語は主語がなくてもほとんどの話しが通じてしまうところがあるので、無意識的に「私」という主語を省略しやすい文化があるのです。
「私」という主語を使うと、そのあとに続く言葉は、自分の感覚や感情や考えを表現しないと成り立ちません。
私はこれがすごく苦手だった。自分の存在に価値を見ていないので、自分の言葉に価値を見出すことができなかったのです。「こんな私なんかが言っても…」ってやつです。
私は「私」という主語を使わないことで、相手への想い(というよりも私の思い込み)をかなり優先してきたということに他ならないのです。
「私」という主語を使いだすと、急に境界線がハッキリしだすのです。私と相手の境目がつくのです。
「私はこう思うけれども、あなたはどうなの?」
自分の気持ちを尊重することが、相手の気持ちも尊重することになるのだと気が付いてから、私が私であることを許せるようになった気がしているのです。
それぐらい、自分を消していたということですよね。わかる人には、わかっていただける感覚なんじゃないかなー。
それぐらい、自分を消していたということですよね。わかる人には、わかっていただける感覚なんじゃないかなー。

